安岡正篤さんの本を読んでいて、「呻吟語」の記載に反省を促されました。
その記載は、
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四看
大事難事に担当を看る
逆境順境に襟度を看る
喜に臨み怒に臨んで涵養を看る
群行郡止に識見を看る
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あてはめてみると
コロナ禍の難事にどれだけ、これを受けて事に当たれたのだろうか?
逆境の中での言動、またそのなかでも順境として、助成金もらったりラフティングの業務が夏は思いのほか忙しかったが、これらにどれだけ襟を正せたのだろうか?
自分自身の喜怒が問われるような状況で、どれだけ自らの心が養われているかがわかるが、喜や怒に右往左往してしまわなかっただろうか?
「群行郡止」(大勢の人との行き、止まりすなわち、大勢の人との行動や活動)をしている時に、識と見で、正しい判断が下せれたのだろうか?
大反省です。四看を折りに触れて見直し、心の軸をぶれないようにしていきたいと思いました。